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研究テーマ

 これまで私は,日本語教育の現場に身を置きながら研究活動を実践してきました。中国と日本という二つの日本語教育現場で遭遇したもっとも大きな問題は,教室での日本語と実社会での日本語のギャップです。例えば,私の調査によると,中国で日本語学科を卒業して日本の大学院の修士課程に入った学生たちが一年目で最も困ったことは「対人関係」でした。「日本語の単語や文型はわかるが,相手がそれを通じて何を言いたいのかわからない」という調査回答の記述から推測できるように,日本人と対人関係を構築することの難しさは「日本語の曖昧さ」あるいは「言外の意味」の捉えにくさに起因している場合が多いようです。

 言語と文化は分離不可能で,言語文化の知のあり方には教科書や教室において言語で説明される「明示的知識」と,外から見えるがその意味を推測するしかない行動パターンや,言外の意味を推測するしかない言語表現などの「暗黙的な知識」があります。言語文化の暗黙的な知識の部分を言葉にして学生と共有するのは非常に難しいことです。

 私は,言語文化の統合教育,多文化社会における知識創造について知識科学の視点から研究しています。知識科学とは,「知はいかに創造・共有・活用されるのか」を問う学問です。言語文化を人間社会のコミュニケーションを支えるダイナミックな知として捉え,多文化理解プロセスにおける言語文化の習得について調べています。

 ここでは,

  1. 暗黙的ニュアンスを学習するためのオノマトペのE-learningシステム
  2. 生活者としての外国人保護者のための学校プリント研究
  3. 多文化グループワークによる言語・文化の統合教育

の3つに分けて説明します。

1.暗黙的ニュアンスを学習するためのオノマトペのE-learningシステム

 オノマトペは,音の響きから得られる意味を表す感覚的な言葉で,繊細かつ微妙な描写を可能にすることから,日本語には不可欠な言語要素です。しかし,オノマトペは日本の文化および言葉のニュアンスに基づいた特別な性質を持つので,日本語学習者にとっては特に難しいのですが,従来の辞典や教材では,オノマトペのニュアンスはきちんと扱われてきませんでした。この問題に対して,私と共同研究者たちは明示的及び暗黙的なニュアンスを両方とも習得する学習方法を提案します。それは,オノマトペの形式的ルールを学習し,それを用いて学習者が自らオノマトペを創作し,それに対して母語話者の暗黙的ニュアンスを含んだデータベースからのフィードバックを得るプロセスを繰り返すという方法で,オノマトペの習得が改善されることを示します(業績の「楊ら,2014」をご参照)。

 しかし,上記の研究では母語話者からのフィードバックは5段階評価の数値だけで示されているため,学習者には評価の根拠がわかりにくかったようです。そこで,フィードバックのデータベースを感性記述(ニュアンスの言語化)に発展させることで,まずは言語に変換できる暗黙的ニュアンスを習得することを提案しました(九州大学P&P,研究代表者李暁燕,2014年4月~2015年3月)(業績の「李ら,2014」をご参照)。以上の研究を発展させ,「オノマトペのアウトプット(創作)」―「感性記述のフィードバック」―「仮説修正およびニュアンスの内面化」を繰り返すプロセスを通じて,体験・実践によってしか習得できない暗黙的ニュアンスを咀嚼し,内省を通じて習得がより進むという新しい学習法を提案し,科学研究費補助金若手研究(B)に採択されました(課題番号:15K16782,研究代表者李暁燕,2015年4月~2017年3月)。現在は,オノマトペのオンライン学習システムを構築し,学習効果を検証する量的調査も進めています。

このテーマに関する主な業績:

    • 李暁燕(2016)「第二言語教育における暗黙的知識の習得メカニズム―オノマトペのE-learningシステムの構築に見えた可能性―」日本語教育学会春季大会予稿集,pp.319-320.
    • Xiaoyan Li, Takashi Hashimoto, Guanhong Li, Shuo Yang (2015) Teaching the Tacit Nuances of Japanese Onomatopoeia through an E-Learning System: An Evaluation Approach of Narrative Interpretation, International Science Index 13-1, pp.1720-1725.
    • 楊碩・橋本敬・李冠宏・李暁燕 (2015)「創作タスクによる日本語オノマトペのニュアンス学習システム」,『人工知能学会論文誌』30-1, pp.331-339.
    • Xiaoyan Li, Takashi Hashimoto, Guanhong Li, Shuo Yang (2015) Teaching the Tacit Nuances of Japanese Onomatopoeia through an E-Learning System: An Evaluation Approach of Narrative Interpretation, ICES 2015 : XIII International Conference on Educational Sciences,Holiday Inn Paris,France, January, 2015.
    • 李暁燕・橋本敬・李冠宏・楊碩(2014)日本語学習者のための自主学習用E-Learningシステムの改善に向けて―楊ら(2014)の提案方法を改善するコアとなるポイント―,2014年日本語教育国際研究大会,シドニー工科大学,オーストラリア,2014年7月
    • 楊碩・橋本敬・李冠宏・李暁燕 (2014)「創作タスクによる日本語オノマトペのニュアンス学習方法に関する研究」言語処理学会第20回年次大会, 北海道大学,2014年3月

2.生活者としての外国人保護者のための学校プリント研究

 日本の学校教育において,学校と保護者との主要なコミュニケーション手段となっているのは「プリントの配布」です。学校が配布するプリントは,非常に緊急性及び重要性の高いものから低いものまで多種多様です。日本人保護者は日本で学校教育を受けており,小さい頃から学校プリントになじみがあるので,それらを少ない労力で理解するストラテジーを身に付けていると考えられます。しかし,「組体操」や「PTA」など,日本の「学校」という特定の文脈においてのみ使う言葉が多いので,日本語がある程度できる外国人保護者でも学校プリントの読解は難しいです。漢字圏の保護者からも,「同じ漢字を使っているが,組み合わせによってよくわからない」という共通した意見がありました。例えば,「『自然』と『教室』はどちらもわかりますが,『自然教室』はさっぱりわからなかった」という声もあります。プリントが理解できなかったため学校とコミュニケーションがうまくとれずにトラブルが発生し,やむを得ず子供たちをつれて帰国したケースも度々ありました。学校プリントの読解は,言語力を超えて,日本社会で生き抜く能力の範疇に入ると言えるでしょう。

 外国人保護者のための学校プリント研究(博報財団第10回「児童教育実践についての研究助成」,研究代表者李暁燕,2015年4月~2016年3月)において,小中学校で配布されるプリントから外国人保護者に対する日本語支援のためのデータベースを作成し,日本人保護者が暗黙的に獲得したストラテジーを明示的な知識に変換して,またその成果を受けて「学校配布プリントを読むための日本語教材」を作成することを目標としています。現在,そのデータベースとして,『学校お便りコーパス』を無料公開しています。(詳細はこちら)

このテーマに関する主な業績:

  • 李暁燕(2016)「中国語母語話者の『学校カルチャー語彙』の理解度分析―学校お便りコーパスの複合名詞に注目して―」,言語処理学会第22回年次大会,東北大学,2016年3月
  • 李暁燕・本田弘之(2015)「学校プリント読解のストラテジーの解明―生活者としての外国人保護者に対する日本語支援の視点から―」,EJHIB2015国際語としての日本語に関する国際シンポジウム予稿集,サンパウロ大学,ブラジル,2015年8月

3.多文化グループワークによる言語・文化の統合教育

 言語教育には,異文化理解の内容が不可欠です。つまり,言語的知識と文化的知識は第二言語教育の両輪だと考えています。特に文化的知識には,教科書や教室において言語で説明される文化についての説明などの「明示的文化知識」と,外から見えるがその意味は推測するしかない行動パターンや言外の意味を推測するしかない言語表現などの「暗黙的文化知識」があります。人間の価値観や思考パターン,行動パターンのような暗黙的文化知識の部分を言葉にして学生と共有するのは非常に難しいことです。これは,第二言語教育における文化教育の難しさの根本的な原因です。

 博士後期課程に在学中には,大学の日本語教育現場で行われている多文化グループワークに注目し,それによる言語・文化知識の変容について博士論文をまとめました。そして,多文化グループワークによる言語・文化の統合学習のASCIモデルを提案しました。

 また,博士研究員として勤務中には,日本学術振興会(JSPS)から「大学におけるグローバル人材育成のための多文化グループワーク」という研究で海外特別研究員に採用されました。助教職を優先し辞退しましたが,現在,九州大学で開講している参加型科目の事例研究やアクションリサーチを行っています。特に多文化グループワークにおける受講生の言語文化の変容および自己成長について,質的調査法によって研究を進めています。また,多文化グループワークを通じた知識変容のプロセスを明らかにすることで,グローバル人材育成のためのひとつのモデルを提示することを考えています。

このテーマに関する主な業績:

  • 李暁燕(2016)「多文化グループワークによるグローバル人材の育成―日本人学生と留学生とのClass Shareの教育実践より―」『九州大学基幹教育紀要』第2号(印刷中)
  • 李暁燕(2015)Tacit Nuance Teaching in L2 Education: a Perspective of Language and Culture as Knowledge,『地球社会統合科学』,第22巻第1号,pp.15-21.
  • 李暁燕 (2014) 「多文化グループワークによる暗黙的文化知識の共有―早稲田大学における総合活動型教育を事例に―」『地球社会統合科学』第21巻第1-2合併号, pp.71-80.
  • Li, Xiaoyan & Umemoto, Katsuhiro (2013), Knowledge Creation through Inter-Cultural Communication in Multi-Cultural Groupwork, Intercultural Communication Studies, 21-1, pp.229-242.
  • 李暁燕・梅本勝博 (2011)「総合活動型クラスにおける言語文化知識の変容」『異文化コミュニケーションのための日本語教育1』高等教育出版社, pp.231-232.
  • Li, Xiaoyan & Umemoto, Kastuhiro (2010) Toward an Integrated Approach to Teaching Japanese Language and Culture: A Knowledge Perspective, Intercultural Communication Studies, 18-2, pp.285-299.
  • 李暁燕(2015)「協働学習による異文化理解―留学生と日本人学生のClass Shareの教育実践より―」九州大学大学院地球社会科学府と山東大学外国語学院合同研究会,九州大学,2015年12月(招待講演)
  • Li, Xiaoyan (2015) Self-renewal through the creation activities in learner-agency class: A case study in Kyushu University, the International Symposium on Business and Social Sciences, Sapporo, Japan, July, 2015.
  • 李暁燕(2015)「日本人学生と留学生の混成クラスにおけるグループワーク―日本人学生の自己成長に注目して―」言語文化研究教育学会第2回研究集会,石川県政記念しいのき迎賓館,2015年6月
  • 李暁燕(2014)「多文化グループワークによる言語文化統合教育の試み―言語的知識と文化的知識の変容に注目して―」華東師範大学外国語学院と九州大学比文学府第三回合同研究会,華東師範大学,上海,中国,2014年3月(招待講演)
  • 李暁燕(2013)「多文化グループワークにおける『共修』」多文化関係学会九州地域研究会,九州大学西新プラザ,2013年10月(招待講演)
  • 李暁燕(2013)「多文化グループワークによるグローバル人材の育成」留学生教育学会,北陸大学, 2013年8月
  • Li, XiaoYan & Umemoto, Katsuhiro (2012) Enriching Self-Knowledge: Inter-Cultural Communication through Multi-Cultural Groupwork, The 18th International Conference of the International Association for Intercultural Communication Studies, Yuan Ze University, Chung-Li, Taiwan, June, 2012.
  • 李暁燕・梅本勝博(2011)「総合活動型クラスにおける言語文化知識の変容」2011世界日本語教育大会,天津外国語大学, 天津, 中国,2011年8月
  • Li, XiaoYan & Umemoto, Katsuhiro (2010) Knowledge Creation through Collaboration in Learner Autonomy Class of JFL, The 7th International Conference on Knowledge Management, Pittsburgh, Pennsylvania, U.S.A. Oct, 2010.
  • Li, XiaoYan & Umemoto, Katsuhiro (2009) Toward an Integrated Approach to Learning A Foreign Language and Culture: A Literature Review, The 15th International Conference of the International Association for Intercultural Communication Studies, Kumamoto Gakuen University, Japan, Sep, 2009.
  • 李暁燕(2009)「『言語』と『文化』を統合する日本語教育―「知識」の視点から考える―」留学生教育学会第14回研究大会, 長崎大学, 2009年8月

4.IT技術を用いた大学生対象のメンタルヘルスe-ラーニングシステムの構築

 昨今、大学コミュニティにおける学生のメンタルヘルスの悪化が叫ばれ、対策を行うことが急務となっています。これまで大学におけるメンタルヘルスシステムには,いわゆる「専門家」が学生に対して、面談などの個別臨床的手法やアンケート調査等の結果を解析し対策に役立てる疫学的手法が主として用いられてきました。これらは一定の効果を挙げていますが、対人関係コミュニケーションに不安や抵抗を感じている学生が増加していることから、今までのシステムでは限界があると思われます。システムサービス供給者・提供者という枠組みではなく、それぞれの構成員が主体となってメンタルヘルスの「アクティブ・ラーナー」として積極的に予防活動に参加することが必要です。

 そこで、学生になじみがあり、アクセスしやすいWeb・アプリ・動画などの情報教材を用いた第3のメンタルヘルス教育システムを構築する必要があると考えます。本プログラムをRESQ(レスキュー)プログラム(Rest-Relax-Recreation program of E-lerning System from Q-univ.)と名づけ、プライバシー保護に配慮し、多文化・多言語に対応したメンタルヘルスラーニングシステムの開発を目指します。

このテーマに関する主な業績:

  • 福盛英明・松下智子・川本淳平・李暁燕・梶谷康介「大学生の学生生活の質をセルフチェックする「学生生活チェックカタログ45」Web版開発に用いる基礎データ」九州大学学生相談紀要,2,2016.
  • 福盛英明・松下智子・梶谷康介・川本淳平・李 暁燕「大学生のこころの健康のe-ラーニングシステムの構築(1)ー試行コンテンツの作成ー」.第54回全国保健管理研究集会,2016,10.5

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